雅子さま、紀子さま…。麗しいお姿の礎はこうして生まれた。創業者与儀八重子氏の代から続く皇室と与儀美容室とのかかわり |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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雅子さま、紀子さま…。麗しいお姿の礎はこうして生まれた。創業者与儀八重子氏の代から続く皇室と与儀美容室とのかかわり

皇室御用達の与儀美容室が語る皇室とのかかわりと御婚儀のお支度

 昭和31年になると銀座の通りに活気が戻り、お客さまの車を駐車するのが難しくなってきました。そこで、当時は今よりずっと静かだった六本木に店を移転し、名前も「パウダー・パフ」に改めました。

 この頃、奥さま方の間でパウダー・パフは「パフ」と呼ばれていたようで、「パフの頭にした」「パフの頭にしたい」といった具合に「パフの頭」という言葉が流行していたと聞いております。ちなみに「パウダー・パフ」とはカリアンドラという花のこと。メイクに使うパフのような丸い形のモダンな花で高潔という花言葉を持つそうです。与儀美容室らしい美の象徴として、現在も私たちの法人の社名になっております。

 時は変わり、昭和37年。美容室に大きな転機が訪れます。それは、日本を代表する国際ホテル「ホテルオークラ」の開業でした。

 オークラ東京は、昭和37年、初めての東京五輪の2年前に開業しました。この時竣工された本館は、複数の著名な建築家による共同建築で進められた当時最高レベルの建物でした。和の工芸を取り入れたモダンな意匠を施され、世界中から「日本モダニズムの傑作」と評される名ホテルです。現在の新館は老朽化による建て替えを経て、本年令和元年9月にリニューアルオープンし、さらに開放的に生まれ変わりました。私たちのサロンは現在プレステージタワーの4階にあり、従来のウェディングや成人式でお越しになるお客さまはもちろんのこと、タワー内のオフィスに通う女性のみなさまにもご好評いただいております。

 私たちがオークラ東京にご縁ができてもうすぐ60年になりますが、町の美容室にすぎない私たちが、このような素晴らしいホテルに入ることができたのも、すべてお客さまのおかげでした。

 開業時、旧大倉財閥の大倉喜八郎氏が強い意気込みで開業するホテルだという話題性もあり、テナントとしてすでに有名美容室がいくつも手を挙げていました。そこに、ある大企業の奥さまが「良い美容室があるわよ」と私たちを推薦してくださったのです。

KEYWORDS:

『与儀美容室がお客さまから学んだ美しい生き方』
与儀育子

 

戦前、銀座の「資生堂美容室」で働いていた初代・与儀八重子氏が1948年、焦土となった銀座の一角に「シャンプーができる美容室」として開業したのが与 儀美容室のはじまり。その後、丁寧な仕事ぶりや革新的な技術の導入、さまざまな縁も重なって宮家が通うようになり、その後、順宮厚子内親王殿下(池田厚子 さま)の婚礼の支度などを任されるようになる。さらに紀子さまの婚礼支度、雅子さまの婚礼支度、眞子さまや佳子さまの式典や晩餐会でのお支度など、皇室か ら信頼される一流美容室に。さらに与儀美容室は、縁あって山中教授や本庶先生など、ストックホルムで行なわれるノーベル賞受賞者の授賞式支度もされていま す。
そんな一流美容室でありながらも、モットーは「お客様目線」。例えばカラーで白髪を隠そうとしている客に対してカウンセリングし、白髪を活かす「グレーヘ ア」を提案するなど(※そのままカラーをすれば、当然カラー料金が利益になるが、個人の髪質やスタイルなどを踏まえ、客のためにならないことはしない=利 益のみを追求することはしない)、偉ぶることのない仕事ぶりはテレビなどでも特集されています。
本書は皇室御用達ながらも、けして高飛車になることなく地に足をつけた仕事ぶりで高い評価を得ている与儀美容室の「仕事の流儀」を紹介。さらに三代目であ る与儀育子氏が考える将来の展望なども含め、あまり語られることのなかった、与儀美容室の「今まで」と「これから」にも迫ります。

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与儀 育子

よぎ いくこ

与儀美容室

美容師

1949年創業、結婚式場として有名なホテルオークラ内にある与儀美容室は70年の歴史を誇る。与儀育子氏は、皇室女性担当として、プリンセス達に美しい髪を届けてきた与儀美容室の三代目。初代である祖母の八重子氏、そして母のみどり氏から受け継いだ、丁寧な仕事ぶりから、皇室のみならず、日本人ノーベル賞受賞者(山仲教授、本庶先生など)、経済界の著名人などが通う、一流の美容室である。


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